自分に身近な生命が失われて逝くことがあり天空を行き交う流れ星と同調し無常な定めと同時に、今をいとおしく感謝する日々があった。
大地の上でも広大な宙(そら)にも同じように集まってはまた散りじりに分かれて行く、そしてまた何処かで別のモノたちと結合してゆく事を繰り返しながら時が流れて行くことがミクロの世界でもマクロの世界でも繰りかえされている。
僕らはそれを観ることは出来ないけれどその永遠性を感じることは出来るのだという思いから地上を俯瞰したのか、または宇宙の風景なのか、そのドチラトモつかないようなGENESIS(創世記)という風景のシリーズを創った。
日本では各地に天変地異が起こっている。
台風、津波、地震、土石流等など、大地の安定した北ヨーロッパから観ると、正に危険極まりない土地に命がけで自然と闘っているように見える。
僕の住む東北地方でも地震のため山が崩れ多大な被害があった。
雄大でどっしりとした山が一瞬にしてその姿を変え崩れた大地から地層がむき出しにされた。
僕らが立っているこの足の下にも何億年もの歴史を刻む地層があるのかと気が遠くなりそうな思いである。
崩れた歴史の断片たちは時代をごちゃまぜにして新たな塊を創っていた。
花には万物の生成化育の源が観られる。
色彩、形状、香り、生育の変化、種の多様性などどれをとっても不思議な魅力が尽きない。
とりわけ私は、種子植物が増殖する際に、おしべから花粉が飛び散り、次の生育へと橋渡しをする現象に私自身の造形心の源を感じる。
種を残す行為である花粉の壮大な旅に私は自然への畏敬の念を抱くGenesis (宇宙創世)シリーズで、太陽から放出され宇宙に飛び散った隕石や塵を描いてきたが、そのようなグローバルなマクロコスモスに比べると、地球上の一生命の存在でもある花の世界はミクロコスモスともいえる。
このシリーズは進化の妙、すなわち自然と、私自身の感性と造形力による心の宇宙である。